書評

朝井リョウ『何様』

朝井リョウの『何様』を羽田ーロンドン間で一気読みした。 体に衝撃が走った。 その衝撃をすぐにiPhoneのノートに書き殴った。 この感情を忘れる前に書き留めたかった。 是非、お読みください。 電子書籍版『何様』は以下の画像をクリックすると紀伊國屋書店ウェブページにとび、そこでお求めいただけます。


羽田からロンドンヒースローまでの機内で初めて、朝井リョウの『何様』を読んだ。

動揺がすごくて、でも後ろめたさはなく、ただひたすらに何かこの感覚を、21歳だからこその感覚を書き留めなくてはと思った。

現に今、読み終わってから3分以内にこれを書いている。

『何様』は、就活という制度を人事部、それも望んで人事部に入ったわけではない元体育会ラクロス部卒の1年目の主人公に焦点を当てて書いてある。

主な問いは「果たして最後の最後に引っ掛かったような会社で、さらに毛頭意識していなかった人事部という立場にいきなりたった人間が就活生を裁く立場にあるのかどうか」だ。

この物語は中盤、この問い(誠実さ)を自問自答してネガティブな結論を持ってきたと思いきや、物語後半で先輩社員君島に喫煙室に連れて行かれ、「もし採用したいな、と思った時間が1秒でもあったら、それは自分たち人事部が就活生に誠実さを感じた証であり、そこから誠実さを広げて(自分には作り上げる、というニュアンスが感じ取られた)いけばいい」というアドバイスを貰う。

主人公はそれは作られた誠実性であり、不誠実ではないか、100%では無いのではないか、と反駁しようとするが、「真面目すぎ。ウケる。」で一蹴されてしまうのである。

物語はそこで終わる。

俺は今、21歳でダラム大学生だ。イギリスの大学にいるのもあり、日本の就活には全く関与していないし、就活自体も始めていないが周りの友達は就活真っ只中にあり、集まっても集まっても就活の話ばかりしている。

高校の時はバレー部だった。バレーは小4の時、木村沙織のプレーをテレビで何気なく見た時から「あ、これだ!」とビビッとくるものがあり、いわゆる100%の誠実性をもってやれているものである。

部活を引退し、高校3年生でHLABを経験し周りの高校生が現代の知識言語である英語、さらには模擬国連だの社会活動だのボランティアだのを高校生のうちからやっている中で、自分がやってきたバレー部はあまりにも小さく、しょぼく感じた。

それからというもの、ほぼHLABの熱でもって、当時絶対的な良いとされているものに感化されすぎていった。実はそこで得た誠実性は100%ではなかったのに、だ。

現にイギリスの大学に行った理由もイギリス英語が喋りたいから、であるし、シュートをやったのも当時絶対に正しいと思っていたものを中学生に共有したいという事からであった。

つまり、それが本当の誠実か否かは確かめなかったのである。「ノリ」でやってしまっていたのかもしれない。

そんなこんなで進学したイギリスの大学ではやはり本当に勉強が大好きで自分の科目を誠実に勉強している人には勝てねぇなぁと感じてしまうし、ファーストがもらえないということは教授にも見抜かれているのだと思う。

しかしながら、100%の誠実を感じたもの、つまりバレーボール、は結局高校引退後、2度とプロレベルでやらずに勉強に専念すると渡英時に決めていたにもかかわらず、結局はイギリスのプロリーグで毎日練習していることとなる。

大半の人は君島のように妥協して生きていくことを余儀無くされると思うし、それを非難するつもりは毛頭ない。が、自分は自分の感性を大事にして、今ビビッときているもの、つまりバレーボール、社会学、コーチ•教職という可能性、ジブリ学(特に千と千尋)、小説を書いてみること、何かを描いてみること

を中心に生きていきたい。

やはり、今の自分が証明している通り、好きなものはいくらやらないようにしようと思ってしまってもとてつもないエネルギーと共にやってしまうのだから。

11, January, 2020 at 15:37 JST