大人な脩平さんの独り言

そうだ、京都に行こう。

そうだ、京都に行こう。

どこから始めようか。

キリがちょうどいいというか、読者をグッと掴んで離さないという小技ができない不器用なライターであるため、ここは王道の時系列順に自分の考えを徒然と描いていくというメソッドで描こう。

1週間前くらいからおかしかった。

とてもとても東京を離れたくて、

とてもとても自分の今の職場である駒込に行きたくなくて、

朝の出勤でオフィスに向かっていても足が自然とその隣にある六義園に向かっていて。

憂鬱な気持ちで迎える毎日。

内職も携帯も持ち込むことを許されない職場。

なにかいらない業務やバカ丁寧な確認ばかりして働いている気になっている同僚たち。

本当にこういうのに嫌気がさした。

自分の人生の貴重な一分一秒が会社によって蝕まれていく歯痒さ。

自分の貴重な一分一秒が就活というやりたくもない茶番によって蝕まれていく辛さ。

気がつけば、口の中はヘルペスだらけ、皮膚はボロボロ、小鼻のあたりはニキビだらけになっていた。

さらに腕にも湿疹ができ始めた。

髪の毛もたくさん抜けた。毎朝、ヘアーオイルを塗るのだが、その時に肩を覆い尽くすほどの抜け毛が白いスーツの上にかかる。

もう限界だ。そう思った。

お金が口座から減る怖さ、

好きなものをとりあえずは揃えたいというエゴ。

これらを両立させるために昼夜を問わず働いた。

やれることはなんでもやった。

それと共に寝ていない日が増え、ベロの下のヘルペスは痛みを増していった。

食事はもちろん、作る暇もないからコンビニで買ってきたカレーや弁当を再加熱し、食べる。

草間弥生の自伝を読んでから自分の食という部分、食べるという行為までもがルーティーン化され、情操的なものを失ってしまっているものになっていることに気がつけた。

以来、クソ会社TKで与えられるお昼休みに昼食を食べる、午後に備えるために体に機械的にモノを入れる、まるで携帯を充電するかのように「食べる」という極めて個人的な行為が政治的に侵食されることにとてつもない不快感を感じることになった。

こんなことならいっそ食べるのをやめてやろう、とも思ったが、わたしの体は頭で考えることと常に反対を向く。

1時間というお昼休憩の間に自分の、大森脩平としての「生」を感じようと、休憩が来たらすぐにオフィスを飛び出し、首にかかっている社員証を首を掻きむしるようにして取り外し、オフィスに隣接している天ぷら屋さんに駆け込む。

そしてご飯大盛りの天ぷら定食を頼み、茶碗一杯に盛られたご飯を書き込んだ後で、お代わりをもらう。

そのおかわりももちろん、大盛りだ。

腹がはち切れそうになり、業務中に眠りかけてしまうほどの炭水化物を30分あまりで腹に詰め込んだ後は、機械のようにまた、オフィスへ向かう。

一分一秒の遅れも許されない、厳格な場所。

本当に牢屋だ。

友達と渋谷の夜の街を歩いている時に、大学一年生の頃の授業の話になった。

英語の授業で、英語で海外の映画批判をするというものをお互いとっていた。

そこで、わたしはすでに忘れてしまっていたが、彼ははっきりと何を学んだのか覚えていて、

「ビルの部屋の形を見てごらん。格子状に部屋や窓やエスカレーターでさえデザインされているだろう?あれは、管理社会の象徴であり、そこに閉ざされた人たちが今日も働いているんだよ」と教えてくれた。

確かに、ここの写真みたいにエスカレーターのラインは横の格子を作り出していて、縦の窓枠は縦の格子を作っている。

わたしは日々生きるお金というものと引き換えに、自らを1日のうち9時間、しかも午前10:00-午後7:00という1番太陽が当たり、草木が芽吹き、動物が活動するという生命力(エロス)の骨頂に自らの体を人工的に作られた監獄に縛り付けなくてはならない。

ここまで来て収集が付かなくなってしまった。

とりあえず、名古屋に着いたし、ここら辺で。

なぜ京都に、なんの目的で行くのか、

上賀茂神社にお参りに行くとだけ言っておこう。

そこら辺の経緯はまた今度。

では。

P.S. 付け足し

新幹線に乗る前の人を見るのが好き。

しょうがくせいのとき、中学受験戦争でSAPIXと自宅という二つの場所にがんじがらめにされていた時、教科書のこういう写真を眺めて自分を写真の中の人に憑依させて楽しんでたなぁ…

これから、自分は机でいつ頭を叩かれる恐怖に慄きながら勉強するかわいそうな小学生じゃなくて、時間もお金もたっぷり持って余暇をエンジョイする大人なんだ、って本気で思い込んで、束の間の空想を楽しんでたなぁ。。。

そんな事してるから、めちゃくちゃボケッとしてる、目の色が変わってない、いつから本気になるんだ、アホ、クズ、サーカスの猿以下って親から言われ、殴られ続けてたんだけどね。

この経験からか、自分が何かアイディアとか、創造性を発揮するときって極限に自分が追いやられている時な気がする。ゆっくり時間をとって、心に余裕を持った創造というよりも。

私の創造は、現実世界から逃れたい、逃れたいと願い続けている時に発揮される。インスタの自分が気に入っている写真もそうだ。心身ともにヘトヘトになった時、いい表情が、飾らない表情が、周りの大人にビクビクして今も笑顔を作っている赤ちゃんしゅうちゃんがやっといなくなる。そして、その代わり、ほぼ表には出てこない、大人の、しっかりと実年齢に比例する大人の大森脩平さんが現れる。

だから、ものすごくいい人ですね、とか人当たりいいね、って言われるのは、まだその人に赤ちゃんしゅうちゃんしか見せられていないんだと、密かに心の奥で思う。

赤ちゃんしゅうちゃんが自分のことを守ってくれすぎていて、それが重荷になっているのかな、今は。字面だと大人な脩平さんがでてくれるから、これからブログは、大人な脩平さんの自己実現の場としてあげたい。

それを抑えて留学Tipsなんか書くこともあると思うけど、その時は赤ちゃんしゅうちゃんが書いているんだな、と思って欲しい。

。。。話が逸れた。

今ではこういう一般人が持てないような感性を持たせてくれた地獄の4年間のトレーニングだったと自分の中学受験時代をとらえるようにしている。そして、自分の中の毒親像を昇華しようと頑張っている。

このブログを親は読んでると思うんだけどね。22歳の大森脩平さんの自己表現のスペースをこれ以上殺したくない。だからこそ。

今まで言いたかったことをカバーして上辺だけの綺麗な留学体験談より、こういう自分らしい自分を表現したくなったから、恨みつらみで書いているわけではないことをここに断っておく。

表現者としての大森脩平を誕生させたい。

最近インスタも始めた。フォロー宜しく。