社会学

ファミチキ哲学序説|寺田寅彦

寺田寅彦とコーヒーとファミチキ

ファミチキで哲学しようと思ったのは全くのひょんなことからで、自分がまさかファミチキについてここまで分析するとは思っても見なかったが、我が国は朝コーヒーを入れる習慣のうちにコーヒーについて論考し、一つの論文を書き上げた哲学の猛者がいる。その哲学者は寺田寅彦という。

彼がコーヒーについて深い分析をかさねたことができたのだ、どうして私がファミチキについて深い分析を重ねることができないなんてことがあり得ようか。

ここは一つ、全くだれの目にも止まるかわからないくだらないトピックで一興を投じてみたいと思う。

私の分析を読まれる前にもしかしたらこの偉大なあまり日本では知られていない哲学者の著作を読んでからこれを読まれると、より一層面白味が増すと思う。

ここでいう面白みとは、哲学界で名を馳せて出版までに至った寺田寅彦氏の思考プロセスとその表現の仕方と、イギリスのダラムにいるしがない一人の私文系大学生の思考プロセスとその表現の仕方を比べられるという点だ。天と地の差を味わいながら、こいつがなんかアホなことに全身全霊かけて語ってるよwという目線で楽しむことが可能となるだろう。

これはAMAZONのキンドルで0円なので、実際に購入して読んでみるもの悪くはない。

寺田寅彦について

せっかくなので寺田寅彦について少々小学生の自由研究程度の内容にはなってしまうが調べたのでここに概要を載せておこうと思う。また、これは皆さんに情報を開示するという目的もあるが、自分のタメでもある。

私は大学のレポートでも韓国語の勉強でもこのブログでもそうなのだが、読んだことは書いて指先から知識をキーボードにそのまま文字通り、「刻み付けて(叩きつけて)」自分が頭に目からインストールした情報を頭という器官を介し、白紙の上にとりあえず書いていく。学んだものを一回自分の言葉に直し、それを指先からアウトプットするという習慣をつけることが海外留学を目前に控えている、もしくは海外大学で生活している人が一番獲得しなくてはならないスキルなのではないか、とも思う。これに関してはまたどこかでじっくりと書こうと思う。

話が逸れた、元に戻ろう。

寺田寅彦についての基本情報は以下の通り。

  • 高知県小津町にて4-19歳までを過ごす。その過ごした邸宅が今は記念館になっている。
  • 1967年に彼の勉強部屋が高知市跡に登録された
  • 随筆、文芸、哲学、物理学者
  • 夏目漱石と親交があり、師弟関係のようなものを結んでいたという
  • 最近世界、日本の目まぐるしい情勢変化の中で注目を集めている
  • そのきっかけは「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉から

寺田寅彦の他の名著紹介

寺田寅彦の他の名著を紹介しよう。私自身が読んだのは一冊目、『読書と人生』である。

高校生の時、バレー部の活動に精を出す一方で、下手の横好きが昂じて本を趣味で大量に読んでいた。

高校生の頃、部活を引退し、よくわからないままHLABというネオリベごりごりの「みんな違うストーリーがある、多様性が大事、でも僕の存在も大事!」という矛盾じみたEthosの中でミドルクラスから上流階級の子たちが自分の思考や価値観をまるで鶏が鶏冠を一生懸命立てて他の鶏を牽制するが如くTOEFLの点数や海外在住歴を争うカオスな狂気に触れた。

そこでは、なにかディベート部や模擬国連、キャリア甲子園などに出場して、英語を喋れて、英語で自分の考えをとにかくマシンガンのように発するものが注目されるという絵に書いた制度化された経済資本/階級差別が蔓延るようなところであった。そんな中、英語も輝かしい功績(強いて言えば高校の時部活のバレーボールを頑張って今まで行けなかった県大会に常連出場できるようになったことが功績である)も何もない自分が唯一注目されたのが、読書好きだという点。

しかし、こちらは趣味が昂じて読書をしているようなもの、読書をしているのは褒められるためでもキャラ作りでも何もない。読書をしている人が頭がいいという風に捕らえられている風潮に嫌気がさした。

高校三年生の時、読書とは何かについてそれこそ狂気じみたように調べていた時期があった。ショーペンハウアーの『読書について』はもちろん、その中で出会ったのが寺田寅彦だった。

ショーペンハウアーについては原書がドイツ語で書かれているので、日本語に翻訳された岩波文庫版をおすすめする。以下のリンクから購入、購読されたい。

寺田寅彦の『読書と人生』を高校三年生に読んだときはアウトプットもしていなかったので、内容を忘れてしまっている。

もう一度この際なので読んでみて感想を書いてみるのも悪くないなぁ、なんて思う。いつかやってみよう。

寺田が読書について言及している本はこちらから読まれてみてはいかがだろうか。

寺田寅彦と天災、そしてコロナウイルス

寺田は天災についても言及しており、これが近年彼が日本で最注目されている原因のひとつであろう。ただ、私はいまだこの本には未着手であるため、いつかここに帰ってきたいと思っている。次のセクションでは、やっと待ちに待ったファミチキについて考察していきたいと思う。

ファミチキ考察

私は最近、友達の就職活動の手伝いの一環として彼らのESを添削したり時にはアイディアや構成案を提案したりしている。もっぱらアカデミアのフィールドにしか興味のない私は、こんなエッセイのような物を短期間で提出を義務付けられる大学生や就活生に少々シンパシーを感じながら、いかにも資本主義の小手先が用意しそうな問題をみてどういう風に、クリエイティブかつこれを読むであろう若手採用担当を楽しませられる随筆集をかけるか思案しながら書いている。

その一環で生まれたのが、ファミチキ哲学序説である。以下、拙い文章だがせっかくなのでここに載せてファミチキ哲学序説を弔いたいと思う。

質問)世の中や身の回りにおける自分なりの発見を教えてください。またその発見に対してあなたはどうしたいですか

答え)

身の回りの発見は、「ファミチキ」を無意識に買っていて、他のコンビニのチキンを買っていなかったという発見である。

高校の部活帰りにお腹が空いたとき、大学のゼミで教授に辛口の採点をされたあとに買って食べたとき、どんな気分の時も変わらない味と、サクサク感と溢れる肉汁に少し安心感を覚えながらいつの間にかコンビニのチキンは「ファミチキ」に限定して購入している自分を発見した。

この発見に対して、私はファミチキの魅力について3点考えた。ファミチキの美味しさは以下の三つがハーモニーを醸し出して成り立つ唯一無二の美味しさだと私は考察した。

  • さくさくとしたリズミカルな音を立てて口の中に吸い込まれる衣の食感
  • そして中から豊富な肉汁とともに現れるチキン
  • 最後に、柔らかく、なおかつたくさんの蒸気を含んだしっとりとした鶏肉の食感

これらの上記3つの要因が黄金比を保ちながらお互いに過干渉することなく存在していること自体が奇跡なのだ。現に他のコンビニのチキンとひとつ一つの要因を比較したら、ファミチキに突出して優れた個性を見つけるのは困難を極めるだろう。

しかし、この三要素が上手に合わさってファミチキ独自の病みつき感を作り出しているのだ。現に私の周囲の友達もチキンを買うのであれば、セブンイレブンでもローソンでもサークルKサンクスでもなく、ファミリーマートに自然と足を運んでいるのだ。私の発見の有用性はこのような経験則から裏付けられるだろう。

この発見から、私は何かをプロデューズ、マーケティングする際には、何かと注目されがちな個々の特徴での個性を強調することの大切さは勿論のこと、全体の統一感や総合点で個性を出すことを念頭においてプロデュースする立場として指揮を取りたいと思っている。

今現時点で読みたい本

講談社出版『ムーミン童話』

英語で『ムーミンパパ海へ行く』を読んだので、そこからスナフキンの哲学に触れたく、日本語で将来お金持ちになったらゆくゆくはムーミン童話全集を読みあさってみたい。6000円超えのムーミン童話集を躊躇なく買えるくらいのお金は稼ぎたいと思うこの頃である。

『我らは愛と正義を否定する』

そして、こちらもゆくゆくは是非読みたい一冊である。愛と正義を正義の鉄剣のように振りかざして議論する方法が主流となってしまった今、他の道を模索し続ければならないー何かこの本にヒントや鍵があるような気がしてならない。ぜひ日本に帰国したら読もうと思っている一冊である。大学生の方などは手に取られても良いかもしれない。

『マンゴスチンの恋人』

最後に、2014年に出された高校生の多感な時期をしっかりとキャプチャーした小説なんかももう一度読みたい。こういうのとか。

さて、今回のブログは以上になります。また次回お会いしましょう。ではではー